感想『パリ♥グラフィック—ロートレックとアートになった版画・ポスター展』
会期終了直前に慌てて行きましてその二。厳密に言うと私の好きな時代(Les Années Folles)とはずれるんですが、アール・デコはBelle Époque期のアール・ヌーボーを無視して語れるものではないので…やはりチェックしておかねばと。
版画とポスター
L'Estampe et l'Affiche 日本語訳するとまあ、素っ気ないことこの上ないタイトルですが初っ端に展示されたポスター娘と版画女史の対決のような構図大好きです。この展示考えた人天才。
みどころにも掲げてある、“From Elite to the Street” を象徴している気がします。私だけかもですが、このあとの展示の流れを感覚的に掴めたのはこの作品のおかげ。
ロートレックはとてもポスター向き
亀倉「ポスターの原点というと、よくロートレックの名前が出るだろう。僕はそれ、ぜんぜん反対なんだ。あれは絵描きの仕事だよ。ポスターの原点なんかじゃない。」木村(恒久)「ポスターの原点は、構成主義ですね。基本的にはそれしかない。あれで、ベル・アポックから離れましたからね。」P375
— 亀倉雄策bot (@Y_kamekura_bot) January 7, 2018
絵かきのかいたものがポスターの原点じゃないというのは、作家の態度が違うんだよね。カッサンドルは、あくまでデザイナーとして作っている。ムーランルージュのポスターとは、そこのところが決定的に違うんだな。つまり、デザイナーは伝達の技術者であって、芸術家じゃない。P376
— 亀倉雄策bot (@Y_kamekura_bot) January 7, 2018
亀倉雄策先生のお言葉を淡々とつぶやき続けてくださるbotさんなので、この引用は孫引き(犯罪)になるのだろうか…今度原典探して読むのでちょっと待ってください。
この引用が正しい前提ですが、亀倉先生のロートレックは絵描きに否やはないものの、それでもやっぱりロートレックは(私は)ポスター向きだなと。理由は寄ったときに魅力が半減するから。ポスターは意図的に描線を減らしてるけど、絵画も遠くからとかサムネイルで細部が分からない状態ではいいけど…なとこがポスター的というか、今でいう屋上看板用画像は解像度をぐっと落とすとか階調を減らすの(ポスタリゼーション!)に似ているというか。
構成“主義”ではないのかもしれないけど、十分に構成で魅せる描き方がポスターっぽいなと。
元フォントマニアとしては
最初から気になったので注目しつつ観てたんですが、時代が進むにつれ描き文字がレタリングに、またそれが上手く読みやすくなっていくのが面白くて。昨年春にカッサンドル展も行ったんですが、もちろん当たり前だけど地続きなんだなと実感。
フォントを好きになってよかった!元DTPオペレーターです!的な。
ちょっとしたおまけがお得感
the series Suite de paysages シャルル・マリー=デュラックの風景画2点の枠外にそれぞれの景色にあわせた線画が描いてあってとても得した気分。
クリスチャン羨ましい
Postcards La marche à l'étoile 一見私にはただの夜景を描いた一組のポストカードだけど、よく見ると磔シーンがあって。キリストの誕生から復活までを描いた連作なんだなと気づくにはプレセピオとか御ミサのこども劇とか物心つくかどうかのタイミングで日常にそのシーンが散りばめられてないと。
上京してからこっち、美術館巡りや映画鑑賞に付き合ってくれる友人がカソリック(敬虔ではない)教徒なので、ヨーロッパ・アメリカ系の文化を理解するのにキリスト教の基礎知識必須だと痛感します。
一応、宗教学も教養としては受講したし関連書籍なんかも読んだけど、生活に密着した宗教上の常識は…日本で実感することはとても難しいので。
ヴァロットンいいわー、え?ラブルール!
同じ三菱一号館美術館で開催されたヴァロットンの企画展に来た時ときもそう思ったんですが、同時代のボナールやロートレックやモーリス・ドニの色鮮やかさに負けてないというか、並べると余計に私は目を奪われてしまい。ふと似た雰囲気の連作も彼の作品と思いきや、アール・デコ時代の(作品しか知らなかった)版画家ジャン=エミール・ラブルールのthe series Toilettesだったり。
[課題]アカデミー・ジュリアンとナビ派はちゃんと調べておこう(たぶん好きの源流な気がする)